林田藩陣屋
別名 窪山城 林田城 |
付近住所 姫路市林田町聖岡 | 現在 建部神社 |
案内板アリ | 日本城郭大系 |
建部家系図 政長@ 政明A 政宇B 政周C 政民D 長教E 政賢F 政醇G 政和H 政世I |
室町後期、谷沢国氏がこの丘に築城し窪山城と称したのが始まりであるが、永正13年(1516)赤松政村に背いて落城した。藩祖 建部政長は慶長15年(1610)8歳で亡父の跡を継ぎ大阪の陣では徳川方に属し、摂津国 尼崎城を固守した。その功により政長は元和元年(1615)7月、摂津国川辺郡(兵庫県)、西成郡(大阪府)の内で1万石の所領を与えられ大名に取り立てられた。元和3年(1617)9月、播磨国揖東郡林田に1万石で入封し、窪山城の跡を聖岡と改め、ここに陣屋を構え灌漑用に鴨池をつくるなど農業に尽力した。以来、藩主の交代なく廃藩置県まで10代250年余り建部氏が治めた。3代「政宇」は伏見奉行にもなり、京都の大火で禁裏が炎上したときは造営にも当たり正徳4年(1714)には寺社奉行にも昇進している。7代「政賢」は学問を好み林田藩校敬業館を創設した。9代「政和」は幕府の大番頭として京都二条城守護の重責につき、敬業館の振興の為に、河野鉄兜を迎えた。歴代藩主の墓は京都紫野、大徳寺内芳春院にまとめて祀られている。建部家は外様大名であったが姫路藩、岡山藩との縁故もあり郡北に雄視していた。 |